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8月22日 NEW
ーわが家のサルスベリー
 
 ここ数年来、仕事の気分転換を兼ねて、庭の整備をおこなってきた。一年間を通じてなにかしら花が咲いているようにしている。今年は特にブッドレア(フサフジウツギ)が大きく成長し花付きも良く、次から次へと咲き続けている。おかげで、いろいろな模様の大好きなアゲハチョウが毎日のように飛来して目を楽しませてくれる。
 ところで、わが家のサルスベリは今年は見事である。今が満開中である。
 南側に位置しているとはいえ、主庭である15坪のスペースは裏側の二階建ての家との間に挟まって、太陽の日照量・日照時間も少なく、比べるとこの八街の地元でもほとんどの植物の生育が1〜2週間程度遅れる。妙な話、「這えば立て、立てば歩めの親心」、ではないが、わたしの負けず嫌いの性格ではまことに残念なことである。

 
サルスベリ[Lagerstroemia indica L.]: ・ミソハギ科・サルスベリ属、中国南部原産、
                          落葉小高木、百日紅(ヒャクジッコウ)
 わが家のサルスベリのサイズ(形状寸法m): H(樹高・Heights): 4.5  
                              C(目通り周・Chrone): 0.23   
                              W(葉張り・Width): 2.5 


 市場に流通しているサルスベリの花の色は白と桃と紅と紅紫色がある、と植木業界では言われている。花色が白系の場合、樹幹が通直でまっすぐになる傾向がある。この樹木に耐潮性がある特徴を活かし、かつて、都内品川区の天王洲アイル計画でその直幹性の樹形を重視し、そのサルスベリを探したことがあった。そこで沖縄地方が自生地のシマサルスベリという樹種があることがわかり、千葉、東京、熊本県に実物を見に行きこれがいいと特定したが実際の植栽に至らなかった経緯がある。

 2階のベランダから見ると、サルスベリの葉冠(ヨウカン)を上から眺めることになる。狭い庭いっぱいに枝葉をひろげており、花の付き方がうまい具合にまとまっている。その花びら一面をじっと眺めていると、どこか、ホッとする。花の様子が鮮やかでないのが好ましい。花弁が集まった(円錐花序)淡いピンクの色味は爽やかな南国のムードを味わせてくれる。どこか、亜熱帯の植物に似たインパクトを与える。これはわたしの育った東北の生地では見た記憶がなく、あり得ない情景だ。たまさかの風で落下して緑の芝生面に花冠をふんわり乗せたさまはやわらかく可憐であり風情がある。 
 この夏、厳しい業務展開の中で悶々とした心情、雑多な想念に凝り固まった頭脳で身の回りに無頓着になったパンツ一丁のオヤジが汗臭い上半身をさらし、庭を見るときそれは倍加するものらしい。
 『庭弄り日誌』を見ると、大きな剪定作業は平成12年12月、同13年4月、同15年2月にやったことになっている。その後、期間をおき自然の樹形に任せたもののようである。それが功を奏したのだろう。枯れ枝・支障枝の除去はその都度、落葉時期と6月にやっている。巷(チマタ)でしばしば見かける強剪定は、本来のサルスベリの特性を考えるとあまりおすすめできない。
 今年は、昨年の夏のような打ち続いた長雨と高温にはならず平年並みの良い生育条件のようである。天候は順調である。台風上陸10個、などというおどろおどろしい異常気象もなさそうだ、いや、あって欲しくない。
 以上、手前味噌の話題で恐縮至極。
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8月20日 NEW
ー横浜中華街と揚げパンとランシンボクと・・・・ー

 もうすぐ立秋になるかという快晴、わたしは8月5日10時20分わが家を出てJR佐倉駅から都心へ向かうため電車に乗る。熱線じみた戸外の大気の中からひんやりした冷房車をつぎつぎに、JR・京王帝都・小田急・JRと乗り継ぐ。都内の建築予定の現場2箇所をまわり、体調もグロッキー気味で町田駅でJR横浜線に乗り込み根岸線方面へ向かう。もう1箇所の現場挨拶の予定をはずし横浜中華街へ行こうとしている。
 しばらくぶりだ。わたしは今日はこの機会に、揚げパン(油條・ヨウティオ)を買うのだ。


 横浜の中華街は、散らばり気味の神戸の中華街と比較してひとつのエリアを形成していて本格的な町並みである。
メインの通り(中華街大通り)からひとつはずれた関帝廟まえの通りを進むとこの中華街に2店しかない日常中華菓子店がある。その町かどに5坪ほどの目指す‘頂好食品’がある。油條は小麦粉を練り、小口3cm×5cm長さ約30cmの棒状にして油で揚げた簡素な食べ物である。はじめから味はついていない。主食のようなもので中国では牛乳にひたしたり、おかゆといっしょに食べる。これは、もともとこの中華街の住人の日常の食料品として売っているもの。
 揚げパンは、以前中国に行ったときに必ず朝食に出ていたもので、北京、昆明、上海と旅行したのだが、これにわたしが病みつきになってしまったのである。だけれども、人にすすめると味も素っ気もない、と不評であった。わたしは生来、美食を嫌い満腹になれば満足、腹の足しになればいいぐらいの粗食指向の味覚音痴だ。神戸の中華街は不明だが、日本国内ではわたしの知る限り、揚げパンはここでしか売っていない(実は、帰国後数年間、都下、近県の中国物産店・デパート関係をしつこく探した)。
 夕方までにはほぼ売り切れる。当日はなんとか間に合い、家族へのお土産のゴマ団子とともに、1本\120、10本を店の紙袋に入れてもらう。そして西門通りを経て延平門をいそいそと石川町駅に戻る。

 その道すがら「おっ、これは」と、メインの通りの新装なった歩道内の街路樹に気づく。この前に来たときには街路樹はなかった。それも珍重すべき、背丈2m50cm位のランシンボクである。ここ一・2年のうちに植えたと思うがここにはこの樹木がピッタリ似合っている。朱色をふんだんに用いて明るく派手な配色の全体イメージと、幾何学模様と極彩色で輪郭のはっきりした中国建築様式の都市空間には、ランシンボクの小葉で着葉量が少なく(羽状複葉)、向こう側が透けて見える樹木は緑陰樹としても中華街にマッチングするのである。これは、日本のセンダンに似た葉をもちすっきりした樹形はトネリコと類似し大きく成長する特性の樹木だ。花は地味で目立たないが、深紅色の紅葉がきれいで涼やかな樹姿をしている。中国の代表的な街路樹として、世界的規模で流通しているプラタナスのほかにエンジュ・シダレヤナギ・ポプラ・ドロヤナギ・トウカエデ・チャンチンがあるが、いずれも散文的な印象を与える樹木が多い。これが日本の都市緑化樹木だとけやきとイチョウが多用されている。しかし、これを中華街に持ってくると街並みに違和感を与えるだろう。日本人は無意識のうちにこの樹木を文人画的に見るから、余韻を残し過ぎるのだ。
 付けくわえると、この樹木は学問の神様、儒教の開祖・孔子の木とされている。世界文化遺産の孔子の生誕地である中国山東省の曲阜市にある孔子廟に植わっていた樹木として有名である。なお、似た樹木ではシダレエンジュという縁起木がある。

ランシンボク[Pistacia chinensis Bunge]:
    ウルシ科・ランシンボク属、中国、東南アジア原産、落葉高木、
    爛心木、トネリバハゼノキ、カイノキ(楷の木)


 ランシンボクは日本の造園業界ではポピュラーではない。わたしが最近見たのは、近場にあるあの成田山にある成田山書道美術館である。明治維新に活躍した、鍋島藩の副島種臣の墨蹟を堪能したあと正面口に立った途端に気づいた。茶室に接した斜面状の緑地にのびのびと枝を広げ育っている。その前は神奈川県・金沢文庫の称名寺境内である。初見は、記録を見たら平成7年8月12日、都立林試の森公園であった。
 [ 参考: <資料> “日本の樹木”・山と渓谷社  “週刊中国悠遊紀行第15巻”・小学館 ]
 [     <サイト> 横濱中華街
 http://www.chinatown.or.jp/ ]

後記 樹木名をランシンボクと判断したが、横濱中華街H・Pの紹介記事を見るとわたしがセンダンと見間違えた可能性がある。いづれ実地で同定する予定である。
       
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3月1日
 3月1日 もうすぐ、自宅兼事務所として会社を設立してから1年と4ヶ月になる。


 ここで営業と業績の話を抜きにしていままでの経過をまとめてみようと思う。特に企業としての外向きの顔をどのようにしてつくったか、である。
官公庁が発注する公共工事の入札参加は、そもそも、わたしどものようなちっぽけな業務内容の会社では最初から無理だと思っていた。
 昨年の12月、入札参加資格にかかわる前段階の経営審査申請書類を県庁などから取り寄せ、その手引きを一読して無理だとすぐにあきらめた。しかし、1月中旬、もういちどその書類を精読したところ一縷ののぞみががありそうだとわかり、それからあわてて県庁に聞きにいく。資格とともに日程的にギリギリ可能だとわかった。
 これから先、すぐに受注は出来ないかもしれないが、とりあえず参加資格は得られそうだ。この予定で行くと今年の4月か6月から八街市、千葉県の入札参加業者に登録されて公共工事を行えることになる。その方法は経審の申請、会社の財務内容をチェックし評定する経営分析をする公的な法人に依頼した後、その結果を持って、県庁の窓口に別の別の申請書類をつくり持参する。書類の不備がみつかると、「補正」といいその指定日、時間に再度、不足したり修正した書類をそろえて提出し確認してもらう。用意する書類のために市役所、法務局、印旛県税事務所、印旛地域整備センター、成田税務署を、それぞれ再三かけずり回り集める。通常は経審の申請と後述する建設業許可登録関係までは行政書士などの代理業者に頼むようである。
 ちなみに結果としてスケジュールは次のようになる。
  経営分析状況申請書の郵送1/21⇒ 同結果通知書届く2/2⇒ 経営事項審査申請提出・千葉県庁、受付2/8⇒ 同補正、完了2/10⇒ 入札参加資格申請・八街市役所、完了2/14⇒ 入札参加資格申請・千葉県庁、受付2/18⇒ 同補正、完了2/23。
 このような申請業務をタイトなスケジュールのなかで、なんとかかんとか、経理の専門家の支援を受けつつも一人でおこなった。
 建設業許可登録は言ってみれば土木・造園工事など建設業界の正式な開業免許のようなものである。
昨年6月の県知事建設業許可登録には手こずった。申請書類を作成後、5月中旬から佐倉市にある印旛地域整備センターに数回、相談に通いやっと証紙\90000を貼付し、6月1日受け付けてもらった。が、わたし自身の国家資格のダブりが見つかり、前の勤務先の会社に主任技術者登録の取り下げをお願いするもなかなか処理してもらえずズルズル時間がたった。やむを得ず所管の東京都庁に二度ほど相談に行く。
 そして、入梅前に始めて真夏日が続く夏の終わり、やっと建設業許可が下りたのは8月30日であった。(通常の処理日数は45日間とされている)
 会社を始めるにあたって多少の苦労は覚悟の上ではあったが、今は会社勤務のサラリーマン時代と異なってなんでも一人でしなければならない。ある意味でオールマイティにならざるを得ない。そう、つくづく思う。
 以上、殺風景な話と言えばそうではあるが、会社業務の一端をストーリー風にまとめてみた。
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12月22日
ーわが家の柿の木ー

 うちに植えてある柿の木は名立たる柿の代表的品種である富有や次郎柿に比べて、一般家庭でよく植えられている割にはあまり知られていない。不完全甘柿といわれている関東地方原産の甘百目柿である。その一本だけの柿の木が今年は大豊作だ。立て続けに来た9月7日の台風18号、21号それと台風22号にもめげずである。9月18日に24個をもぎはじめて台風23号の翌日、10月22日に収穫を終わる。なんと驚くことに、総数量270個であった。
 わたしたち家族は13年前、平成3年の今日、八街のこの家に引っ越してきた。翌年の春先に千葉市内のホームセンターで万年筆ぐらいの太さで高さ1.5メー トルの柿の苗木を買い求め玄関横に植えた。今は大人の腕くらいの太さで軒高を超えている。それほど大きくはない。どちらかと言えばずんぐりむっくりとした木のかたちをしている。それが今年の果実量は一個当たり150gとしてロス分2割を加えると48kgになる。やや(!)スマートになり成年女性の体重をこの一本の木が支えていることになる。そんなに頑張らなくてもいいのに。
 あらためて、手元の「庭弄り日誌」をめくると、収穫データは次のようになる。    
   平成 8年       27個  最後の収穫日
    〃  9       100〃    
    〃 10         7〃        
    〃 11        69〃    11/3
    〃 12        82〃    11/3
    〃 13        52〃    10/28
    〃 14        47〃    11/17
    〃 15       101〃    11/23
    〃 16       270〃    10/22
photo
 肥料は、毎年家の周辺の落ち葉を集めて根の周りに天然の堆肥替わりに敷き並べ、冬期に寒肥として油粕の玉肥と業務用のグリーンパイルを打ち込む。また特に平成12年の2月には木の根元廻りを掘り有機性の腐葉土を埋め込んだものである(輪状施肥)。もちろん、冬とともに夏場の灌水は欠かせない。 柿は果樹の中でも、特に1年から数年おきに着果量の変動があり隔年結果習性という生理的現象が顕著にあらわれる。
 そろそろわたしの大好物の茗荷の採りいれが終わる頃、ひよどり.むくどり.しじゅうから.めじろ.と、すずめの群れが架空の電話線や電線を中継して柿の実をついばみに来る。収穫時期の到来である。なにしろ放っておくと自然に熟している実が道路に落下する。さすがに道路を汚しては公共的にまずい。
 今年の柿は糖度が高い。甘百目柿は今年に限って完全に樹上脱渋しており熟柿のみを食用に供した。春先の好天、空梅雨気味の天候、猛暑の夏を経て、例年より収穫時期も早まりやや小さいがよくぞ実ったものだ。今までも枇杷とかの場合にそうであったように、わが家だけでは処理しきれなくて、隣近所、仕事の関係先など5.6箇所に配るのにおおわらわである。わが夫婦にとって捨てるのが勿体なく日常のおやつにするが、間に合わない。出来れば、フリーマーケット、青果市場に出したいほどである。
 自慢にする訳ではないが、わたしの出身は農家の子倅である。このようにわたしは生き物を育てて収穫することに無上の幸福感を感じる。
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12月17日
 12月15日 年末にあたり日常の些事にかまけてある物をさがしていると、次のような数年前の作文が見つかりました。ここに再録する。

ー夏の思い出ー
 結婚して20年余り、二人の子供たちは共に専門学校生、高校生になり、わが家では夏休みに家族で一緒に出掛けることはなくなった。
 私自身の子供時代は岩手県の山あいの農村で過ごした。まち境は一級河川であり東北随一の北上川に接している。その支流である黄海(きのみ)川は当時よく洪水を起こした。夏の台風の時期に川が氾濫し道路はもとより、小さな平野部の田んぼは冠水して薄い茶褐色になる。
 子供ごころにその水の恐怖に圧倒されながらも冒険心に気持ちが高ぶりわくわくしている。そこで子供たちは、決壊場所、流れの合流地点、土のう積みの補修箇所などの場所を大人の目を盗み、近所の仲間とかけずり廻ることになる。その冠水状況を一望できる小高い丘に登り、土砂で濁った広大な水面の流れの方向,様々に寄せる波紋を観察しそれを海に擬し「うーん」と大いに納得したものだ。地理的には三陸海岸に近かったが、実は生まれてこの方まだ海を見たことがないのである。
 最近は水量も減っているが、河川改修工事により、サケが遡上する程水質がきれいになってきている。しかしその一方で、水深が浅く淀みも消滅し魚の種類が減少、河原に篠竹が繁茂し猫柳や胡桃の木があった川岸がのっぺらぼうになり、今の子供たちにとって面白のない川になったのではなかろうか。
 既に郷愁の彼方に過ぎてしまったわが身だが、家庭をもつ親の立場を振り返り、
わが家の子供たちはどういう思い出を持てたのかと思う。
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9月5日
 9月4日(土曜日)AM09:00からTBSテレビで「世界ふしぎ発見、ヒマラヤの桃源郷・ブータン王国」が放送された。
 世界中を見わたしても、この国は外国人の入国を規制しており、現在でもアジアにおける最後の秘境といわれる。ブータンはヒマラヤ山脈を背後にひかえた山国であり、本来、遊牧の民である。日本の着物に似たゴ.キラの民族衣装を身につけた素朴な性格と表情を持つ人たちの国である。
 三年前、千葉県立中央博物館でヒマラヤ展が開かれて、私はいそいそと仕事を尻目にかよったその頃がおもいだされた。高山地域の地形とともに動植物の多種多様さに目を惹かれたが、特にケシ科のメコノプシス属の青いケシ(Meconopsis horridula)にはどんな花でもかなわないと思った。青いケシの花の美しさは際立っており、ケシ科の中でも世界ではヒマラヤの麓の高緯度地帯でのみ自生しており、その現地踏査して撮影した写真を見て興奮に打ちふるえたものである。その時なんとか身近で見られないか探したが、野外での栽培は難しくまた温めるよりも冷やす冷温室装置は設備、維持費用がかかるとのことで生きている青いケシを見るのをあきらめた。ただし最近、日本でも、北海道で栽培に成功したといううわさはある。
 番組では、1964年以来1992年に死亡するまでブータンの農業の技術指導者として単身駐在しこの国の近代農業に身を挺した西岡京治氏を取りあげた、クイズ形式の内容である。私は、そので夫人の西岡里子さんがご出演していて懐かしさをおぼえた。
 過去の話になるが、当時、照葉樹林の豊かな植生をもとめて中国の雲南省を訪れた直後に植物の書籍、図鑑を探していたことがある。
 ご主人の西岡氏のまぼろしの名著とされる、絶版の朝日新聞社刊の中尾佐助氏との共著「ブータンの花」を入手できると知った私は会社を抜け出して、銀座の資生堂そばの小さな会場に向かった。その時に小柄で楚々とした西岡里子さんにお会いした。
 けっして豊かとは言えないブータンに、戦後日本の水田ほかの耕作方法を導入し日本の穀物、野菜を植え付けそだて広めた。現在では、国民すべてに喜ばれ受け入れられブータン人の日常の食生活、食習慣を変えた程である。
 今は亡きご主人の異国で28年に及んでささげてきた活動にスタジオ内の西岡里子さんは誇らしげであり、たしかに一日本人として賞賛に値いする人生であったと思う。
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7月4日
 6月30日付けの新聞にて(株)サントリーが青いバラの開発に成功したと報じた。園芸・花卉(かき)業界ではバラの花色に青色だけがなく、長い間、各企業のあいだではしのぎを削り最後の品種の開発目標、研究課題とされて来たものである。
 この世界に大資本の企業が参入して、10年以上になるが、現在ではウイスキー事業のサントリーがほぼこの新品種の開発分野では席巻して来ている。サントリーはかつて青色のカーネーションを育種栽培して大々的に園芸市場に売り出したものである。
 さて、青いバラであるが、これは今アメリカ、カナダで農作物に対して盛んにおこなわれているバイオテクノロジーである遺伝子組み替え技術をもちいて新品種を作りだしたものである。パンジーの青色遺伝子をかけ合わせ数年がかりで育成された。実際の花の色はやや薄いラベンダーの色合いであるが、まずは花好きとして慶賀の至りと言うべきであろう。そしてこれから先、わたしたちの生活に遺伝子組み替え技術がどれほど寄与するかは不明であるが、とりあえずはエポックメーキングな成功である。
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6月7日
 朝、雨もやいのなか成田に用事で出かけた。JR佐倉駅で乗り換え、少々電車は遅れた。途中の酒々井駅で小一時間足止めを食らう。車内のアナウンスでは成田駅構内で土砂崩壊の危険信号を察知したので確認に向かっている由。この時刻、一時間あたりの降雨量35mm程度のめったにない大雨の影響である。初めて乗る京成酒々井駅まで歩き成田に着く。急ぎ所用を済ませて駅に向かうとまだ運行ダイヤが回復せず、京成成田駅まで歩きあたふたしながら上野方面行きに乗る。そして日暮里でJR山の手線で池袋駅に出て地下鉄丸の内線起点駅で乗り換えて新大塚が目的の下車駅である。

 私の中では京成成田駅から上りで都内に入るのは初めての経験である。年甲斐もなくうきうきしながら移りゆく車窓を眺める。京成線は質素な車輌ながら広軌レールのせいか東急、小田急などの他の私鉄よりも揺れが少なく感じられた。

 人は日常の行動のなかで予想外の時間、場所に置かれると、意識の周辺が新たまりテンションがミまり愉快に感じられるもののようである。
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5月30日
 今年は例年とくらべてさくらの開花が幾分早く、その後4月から5月にかけて暖かい気候が断続的につづいた。だからつつじの仲間も開花期間が長い。5月の下旬の走り梅雨の頃でも、つつじの種類のなかでも遅く咲くさつきつつじのあの深紅色の満開の花が千葉・東京で見ることができた。
 
 私の東北の田舎では、近くの山々に花よりも木苺(きいちご)ぐらいの大きな実をつける樹木があった。しかしやまぼうし(山法師)は、この千葉ではその果実はあまり目立たない。白く脱色したようではかなげな花びらはツンと上向きに開きシンプルで素朴な形状をしている。

 今年はミズキ科のやまぼうしがよく目につく。私の家の斜向かいのおうちの庭に植えられ、道路にはみだし自由に枝を伸ばしている葉張り2.0m程の木がある。私の二階のミニ書斎から見ると、白い大柄な花弁が連なるさまはまるで雪帽子をかぶったようである。私が愛猫ボンを抱きながらの散歩中に近寄り、見上げても濃い緑の葉のあいだからその白い花びらがのぞく。それはそれは、鬱陶しい陽気の日々ではなかなかに爽やかな情景である。これから咲き始めるあじさいと比較して曇天でも快晴でも似合う花だ。

 やまぼうしは都市部の緑地計画のなかでもうるさくない印象があり、やや野性味を持ち、しかも丈夫な緑化樹木として見直されているようだ。
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5月23日
 午後から市役所で「まちづくり市民会議」が開かれる。2月から始まったこの会議も今回の第四回目でお役目御免である。メンバーは昨年暮れの市広報紙にて公募で集まった無報酬の24名の面々である。今回は計画の最終的な提言として市担当者がまとめた文書を再確認する。会議の中ごろから市長が出席しその提言書を手渡するという段取りである。会議の終盤にかけ、その“田舎の親父”然とした市長の意向を受けて、来年の春まで希望者は、
1.専門的な知識のあるもの 2.平日でも時間の割けるもの達で基本計画の肉付けをおこなうことになった。
 
 市民会議のスタート時もそうであったが、この日特に市長の出席ということで座の雰囲気が盛り上がり様々な請願・苦情が話し合いのなかで飛びかう。

 前の日に私は布団に入ってつらつら考えていると、今日の提言は無難に過ぎたかなと思い至った。まあ、こういう市民参加方式の会合は市としても初めてであり手探りで進めてきたようで、仕方のない側面もある。しかし私には、自分自身の来し方を振り返ると思うのだが、千葉県の地元の住民はいろいろな局面で “比較する”という経験が少ないんだなあと痛切に感じる。進歩的な風土、気質が良いとはいちがいに言えないが、“比較”する視点も重要である。わが市は、銚子市に次いで日本の全国ブランドである落花生をはじめ県内第二位の野菜生産量でありながら、色々な面で県内外ともに後進的なイメージが強く市民意識を自覚する動機に欠けていると思う。
有限会社グリーンワークス