◆「狙われた自治体〜ごみ行政の闇に消えた命」 (岩波書店)
栃木県の鹿沼市は、草花・盆栽の栽培用に水はけ、保水性にすぐれ植え付け・繁殖に適した用土が採取される、鹿沼土の生産地である。また趣味の世界では全国的なさつきの銘品盆栽展示会を主催していることで有名である。ここは人口約94、000人の地方都市である。
典型的な地方紙である下野(シモツケ)新聞の取材班は、地元の非協力的な関係者が多いなかをコツコツと取材・調査にあたり事件の全容を明らかにしていく。この本は2003年8月から2004年3月まで若い記者グループが主になり連載した、そのルポルタージュである。新聞記事としては、削りに削られており練られたムダのない簡潔な文章は、徐々に事件の凄惨さをリアルに描きだしていく。
2001年10月31日夕刻、勤務先からの帰りに鹿沼市環境対策部参事、小佐々守(57歳)氏は何者かに拉致されて行方不明になる。小佐々氏は一般廃棄物処理施設である鹿沼市環境クリーンセンターのセンター長である。
事件に巻き込まれたのでは? 住民への行政サービスである職務を公正に果たそうとした、公務員が殺されたのか?そこで、市役所をあげて市職員は必死に捜索行動をおこなう。やりすぎたのでは?、次は自分かと思い悩みながら。
誠実な役人がなぜ殺されなければならなかったのか?
謎の失踪事件から一年と三ヵ月後のことである。
2003年2月6日、栃木県警捜査一課と地元鹿沼警察署が捜査の進展状況の記者発表をおこなった。S社長と実行犯である暴力団組員・元組員3名を営利目的略取誘拐容疑で逮捕した。その前から栃木県警と宇都宮地検は事件関係者に事情聴取をおこなっていたが、その最中に事件の首謀者と目されるYが治療用のインシュリンの過剰投与自殺をはかり、死亡が確認された。つづいて同年2月11日午前、鹿沼市の環境クリーンセンターの前任者であったM参事が市役所建物内で飛び降り自殺、死亡する。
Y社長の運営する鹿沼環境美化センター(経営母体・北関東クリーン)は、その当時、関東地方では知る人ぞ知る、ごみ問題に悩む各地方自治体の一般廃棄物を受け入れて処理する施設として重宝にされていた。しかしその実態は、その市外ごみを市内事業所のごみと偽り、鹿沼市環境クリーンセンターに搬入しその処理料の差額をもうける、詐欺的な行為をくりかえしおこなっていた。その不法行為を止めるために、小佐々氏は10月31日が期限である鹿沼環境美化センターの一般廃棄物処分/収集運搬業の許認可申請の更新を拒否した。
その後、判明した事実は以下の通りである。そこで困ったY社長は取引相手先であるS社長に相談したとされている。S社長は知り合いの暴力団組員3名に殺人を依頼した。犯行は、翌日殺害し、亡き骸は深夜に群馬県内の山中に捨てられたが、現在に至るもその場所を特定できず見つかっておらず、遺体なき殺人となっている。
市議会調査委員会から発展的に、地方自治法にもとづく調査・告発権を持つ百条委員会が設置されて、証人喚問・調査がはじまった。Y社長の鹿沼環境美化センターと前市長を含む市役所幹部との癒着構造が次第に明らかになっていく。前市長とY社長とのあいだに合法性をもたない「念書」の存在が明確になりそこに「官業癒着」と、役人の「事なかれ体質」が水面下から浮上してくる。やがて、Y社長の積極的な事業活動は、長年にわたり県議会議員をも巻き込む地方政治特有の悪しき「ごみ利権の構図」をつくっていたことが判明する。
市役所当局は、この‘行政対象暴力’にそなえて「職員危機管理マニュアル」を策定し、職員に周知徹底を打ち出した。その後時代の趨勢は、コンプライアンス(法令遵守)・内部告発を推奨する風潮を良しとする社会になりつつある。
首謀者がいなくなってしまったこの事件は、「死体なき立件」として裁判はまだつづいている。事件はまだ完全に解明されていない。
わたしの身内にも公務員を業としている人がいる。このような‘行政対象暴力’は他人事ではない。今現在、日本のいろいろな地方・地域でこういう問題が多く起きているにちがいない。表面上はわかりずらいが、バブル経済崩壊後、十数年を経過して日本の社会構造の変化がじわじわと地方行政レベルまで確実に進行している。事件は突発的に起こる。後になってそうだったのか、と驚きをもって気づくように。
官なくして民ありえず、民なくして官ありえず、それぞれが個としての職業倫理・生き方が重要視される時代になった。 |
(平成17年8月3日) |
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◆「国家の罠」 (新潮社)
今年3月に出版したのに、あまり、マスコミはこの本を取り上げていない。まず、読了後にそう感じた。
この本の内容の背景となった時代は、鈴木宗男衆議院議員と外務省にからんだ事件が新聞やテレビの魔女狩りじみた報道をなした社会の風潮の真っ只中であった。外務省のラスプーチンと呼ばれて(本のサブタイトル)、などと揶揄されながら。
今の日本の国の官僚エリ−トのなかでは佐藤優氏というようなすぐれた頭脳の持ち主はそうはいないだろう。同志社大学大学院神学研究科からノンキャリアで外務省に入省し、優秀な語学力と国際情勢の分析力をを買われてロシア担当になる。ロシア・イスラエルでの重要なポストにある人物との人間関係の構築力は佐藤氏の特筆すべき個性である。しかしこの人の最大の卓越した能力は、その得られた人脈を活かし大局観に立った国家間の問題の交渉・解決能力にある。
2002年5月14日、東京地検特捜部に背任容疑(のちに偽計業務妨害容疑が追加)で佐藤氏を逮捕、東京拘置所に収監される。その独房での2年足らずのあいだに骨太で独自な思考と論理は深まる。そこではまた若い頃から馴れ親しんで来た聖書の世界・神学に傾注していることが記されており、ほとんど強靭な神学徒の面貌をかいま見せている。はたしてこれは国家という外務省の犯罪なのか。当時の政権の政争の具として仕組まれた刑事事件であったのか。
数年前になるが、アメリカにて現地法人、大和銀行の行員による証券証書偽造事件が起きた。大和銀行の国外追放とともに、井口俊英氏の有罪が確定しアメリカの刑務所に入ることになる。そこで書かれた「告白」という手記がある。それを読み井口俊英氏が日本にこのままいたらこういういい明晰な文章が書けたかと感じたものである。文章は思考回路を露わにしながらもそのひとの性格をあらわす、と言える。たんたんとした記述でありながら展開力のある力強い文章であった。英語という語学・読解力の技術をあらかじめ持ち合わせていたにしろ、だがそればかりではあるまい。生存競争の激しいアメリカ社会での生活、しのぎを削るようなハードな仕事環境にて鍛えられたものではないだろうか。
たしか、佐藤氏は当時騒がれた時もそしてこの回想録でも釈明をしていない、言い訳するような悪いことはしていないということだろう。無罪を確信し屹立した精神性を感じる。わたしなりのとぼしい知識でも、特捜部の担当検事との堂々としたやりとりは検事を感嘆させる程であり、冷静な裁判の審理内容の判断、方向感覚は驚異的であると感じる。妙な言い方になるが、佐藤氏という人物の懐の深ささえ感じる。
米原万理氏の週刊誌の書評でこの本を知り、早速この本を読んだのだが、この人は仕事もデキる人物であり、このまま世間の狭間に埋もれては惜しい才能である。米原氏は、ここに優れた小説家が誕生したと激賞している。うなずける話だ。 |
(平成17年8月3日) |
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◆「クラッシュ」 (幻冬舎文庫)
この本は読売新聞紙上ではじめて知った。女性lヴァイオリニスト・千住真理子氏のやや異様ともいえる紹介エッセイには、青春のころの切実な模索の時期に出合った、とある。著者の太田哲也氏は大学の経済学部に通う普通の大学生であった。ところが、卒業間際にどうしてもF1レーサーになりたいと決心する。その世界では遅いスタートである。しかしその後、修練の甲斐があって短い期間でで国内、海外でトップレーサーの名声を得る。若い人たちにとっては良く知られた存在だ。問題は静岡県御殿場市にある雨混じりの悪天候の富士サーキットレース場で起きた。ほかの選手の車との衝突事故だ。そこで太田氏は生死をさまようような事態になり、治療の最終段階ではからだ全体に整形手術をほどこしついには他人のように顔のかたちが変わった。その後数年で現役レーサーとして復帰する。
文章に難しい表現があるわけではない。難解な言葉を使っているわけではない。しかし稀有な体験を自分の言葉で,的確に平明に記しているだけだ。これは、学習の機会をあたえられて知識を記憶すること、それを使って頭の回転を良くすることに馴らされている現在の教育制度のもとでは身につかない。私事ながら経験をもとに言わせていただくと、血肉となった諸体験を表現することは難しく厳しい、実は心の内面的格闘を必要とするのだ。
けれん味も衒いもない文章はすばらしい。この本は、人生論上の生きるという面倒なテーマにも、意図せずして読者に語りかけている。特に若い人たちにすぐれて良質な内容を持ったこの本をすすめたい。 |
(平成17年1月16日) |
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◆私は吉本隆明を、長年、日本の社会、時流に向かってする発言とその挙措に対して、頭を鋭く心を虚心に人情を持って書物等で追跡してきた。特に、憂悶の季節であった私の20代前半には、「マチウ書試論」、「エリアンの手記と詩」を生きる指針として読みふけったものだ。
氏は現在の日本で、70歳をゆうに越えて存命する唯一の思想家と言えよう。昔、学生運動華やかなりし時代からの教祖的存在であり、やわらかい感性と強い意志を持った説得力のある男性でもある。
最近、一般のマスコミに出はじめるようになりその生い立ちが知られるようになった。気軽に講演したり対談した内容が、その雑多なあるいは無雑作に著者によって選ばれた出版社が発行する吉本隆明の本を買い求めている。 |
(平成17年1月14日) |
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◆「日本はなぜ敗れるのか‐敗因21カ条」 (角川ONEテーマ21)
私にとって山本七平という人物は尊敬に値いする対象である。世の中では教養があり知っている知識量が多ければ知性があると言い体系付けられていれば知性的という。あるいはそれをもちいて現実の事象、諸問題をいろいろ多面的に分析して見せる。解決策を出してくれる。世間のインテリに多く見かけるこの傾向は、いずれも正答と見間違いやすい俗信でありいつわりである。
ひと通りあたまとからだを通過し、しかも生きてやわらかい心を持ちつづけ得られた経験の表出こそ知性というものであろう。もっとも、それは個として度々つらく苦しい経験のようではあるが。
借り物ではない考え方とはどういうものか、という時に、いつもこの本の著者、山本七平を思い起こす。すぐれた知性は現実を見る目も正鵠を射ているものだ。
山本氏は、第二次世界大戦(太平洋戦争)の終盤ころ、フィリピンに徴兵されたある醸造技術者の手記【小松真一「虜人日記」】をもとに、みずから陸軍砲兵少尉、山本七平としての戦闘、捕虜などの戦役経験を重ねながら書かれたものである。
人はしばしば、やむにやまれぬ極限状態、非常事態にそのもっている特徴、性格をあらわすという。国際関係間の政治・経済などのもろもろの問題で、「日本はなぜ敗れるのか」?。第二次世界大戦の頃も、今も日本人のメンタリティは何も変わっていない。悪い意味で変わっていない。このような衝撃的な事実を、ご自身の内蔵している深い学殖を露も見せずに平易な言いまわしで日本人なるものの特徴をみごとに解剖して見せてくれる。
この著書は、いままで雑誌に発表されて埋もれ山本七平全集に収められていなかった文章を、新たに安価な新書版にしたものである。これは今年度、ピカ一の推薦図書である。 |
(平成16年8月29日) |
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◆先日のことである。いずれ読まなければと思っていた、網野善彦氏著の「東と西の語る−日本の歴史」(講談社学術文庫)を東京駅構内の書店で見つけた。今年になって3月網野氏は逝去した。私にとっては初めての本書では、今までの日本の歴史観を小気味良くひっくり返すように実証的な史論が展開していく。
昭和の時代に、民俗学の大家である宮本常一はみずからの足で日本国内を庶民の暮らしをたづねて歩き多量の著述物を残した。その門下である網野は、下層の人々、農民・漁民の視点からややこしいであろう当時のパラダイム、世相、ヒエラルキーを解き明かしていく。日本史におけるこの類いまれな独創性は既成の歴史学の学界の迷妄をつきやぶる。小さな事実の膨大な蓄積と豊かで複眼的想像力は、将来、真にグローバルで実際的な視野を持つ日本人の育成に役立つことになるだろう。
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(平成16年5月6日) |